逃亡犯の平凡な日々~映画「桐島です」
1960年代末期、全国に広がった大学闘争は東大安田講堂攻防戦の後、収束に向かった。70年安保闘争もさほど広がらず、71~72年の連合赤軍事件、あさま山荘立てこもり事件で新左翼系はほぼ息の根を止められた。それでも運動を続ける勢力は手段を先鋭化させた。この流れの中で丸の内の三菱重工ビル爆破(1974.8.30)は行われた。実行部隊は東アジア反日武装戦線「狼」。その後も、日本帝国主義によるアジア人民への搾取を糾弾するかたちで散発的に爆弾闘争は行われた。銀座の「韓国産業経済研究所」ビル爆破(1975.4.19)に関わった「さそり」には、桐島聡がいた。同じグループの宇賀神寿一とともに指名手配がかかり、桐島は潜伏する。
桐島(毎熊克哉)は約半世紀のほとんどを、ウチダヒロシとして神奈川県下の土木関係の会社に住み込みで働いた。灯台下暗し、田舎ならよそ者は目立つが、都会ならそんなことはない。かつての闘争指南書「腹腹時計」に沿う場所選びだった。そんな日常が描かれる。ヒロイズム、悲壮感はなく普通の生活。もちろん、極悪でもない。アパートに警官が訪れれば屋内で靴を履くおびえた毎日。2階への階段がガタつけば住民のためコンクリートで補修する優しさ。
逃亡生活といっても、時に酒は飲む。キーナ(北香那)が歌う「時代おくれ」に心を奪われる。目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず…、ほのかな恋心。もちろん、実ることはない。本名さえあかせぬ身である。2024年1月のある日、胃がんが悪化、逃亡は幕を閉じる。病室で「ウチダさん」と呼びかけられ、薄れる意識で「桐島です」と応じる。
同じ事件で宇賀神(奥野瑛太)は13年の刑期を終え、2003年に出所した。新左翼支援活動をしていた彼は「公安警察に勝利した」と賛辞を贈ったという。ラスト、銃を持つ謎の女性(高橋惠子、AYAの名から、今も逃亡中の大道寺綾子を類推させる)が「桐島君、ご苦労様」といたわりの言葉を投げる。
逃亡半世紀の桐島を、特別なキャラクターでなく普通の優しい男として、共感を底流に持ちながら描いた。それにしても、大半を仮名で過ごした男の人生って何なのだろう。
2025年、高橋伴明監督。脚本・梶原阿貴とは「夜明けまでバス停で」でもコンビを組んだ。